1981年01月03日

3 中を覗く

それでもなお、フレームが家族をささえる。
家族を囲む壁。
つまり「家族の肖像」では、絵画のフレームが
家屋の壁と同義なのである。
茫漠とした世界の中で位置を定め、そこに集う人々の関係性を
保証するものとして、フレームは静かに機能する。
たとえ個々の想いは違っても、同じ空間を共有することの
意義は大きい。
15世紀から17世紀にかけて、
イギリスでは第1次エンクロージャー(囲い込み運動)が起こる。
その結果としての富の蓄積であり、それを記念しての
「家族の肖像」である。
フレームの機能は、のっけから分断と集積に
骨がらみだったのだ。
このジャンルの代表的画家ジョアン・ゾファニーの作品が、
そのあたりの精神性を証明してくれる。
所有物を絵画化して二重に所有する悪癖である。
絵画のフレームは、窓にたとえられることも多い。
その場合には、鑑賞者が内部に位置して、
外の世界を切り取るケースがほとんどである。
世界に対して開かれた窓という意味で。
しかし、「家族の肖像」では絵画空間が内部にあたる。
鑑賞者が外にいて、家屋の中をのぞき見る形である。
故に、それらは「人形の家」を想わせるし、
マルセル・デュシャンの「遺作」を思い出させる。

家族-0301


レンズとフィルム。
目とキャンバス。
あるいはのぞき穴と密室。
いかなるコンビネーションにおいても、
リニア・パースペクティブ(単一焦点遠近法)が浮かび上がる。
それらはすべて、視点と枠組がかなでる、
点と面の変奏曲である。
人間は本来五感を使って世界に向き合っているはずなのに、
ルネサンスこのかた極端に視覚を偏重する文化が育った。
デュシャンはその風潮を網膜的と呼び、
様々な手法で茶化してみせた。
「遺作」とは、そうしたヴィジュアル・カルチャー全体に対する、
手のこんだパロディだと言える。
デュシャンの末裔たちは、その逸脱を拡大してきた。
しかし、世の趨勢は、視覚偏重に歯止めなどかけようとは
していない。
モダニズムはアメーバのように形を変えて生き延び、
単一焦点文化はますます隆盛を極めている。
果たしてカメラや映画のない生活が想像できるだろうか? 
リニア・パースペクティブは、もはやわれわれの
インフラストラクチャーである。
そのポリティクスは生活の隅々に行きわたり、
思考の筋道、あるいは発想の枠組として機能している。
光の集束を血脈の流れと捕らえ、それを受け止める媒体を
家屋とみなせば、リニア・パースペクティブは
家族形成の隠喩にさえなるだろう。

家族-0302
posted by カズキ at 21:33| 『家族の肖像』 表象論